二世祝福に関するみ言

私たちが求めるものは、自分本位な愛や性的自由といった現代の営みとは異なる、「神の愛」を中心とした結婚の伝統を打ち立てることにほかなりません。同時に、私たちのマッチングの伝統もまた、自己の立場や利益、社会的地位を求めるものでもなければ、人々の狭い了見や私益に仕えるものでもありません。天に喜びをお返しし、私たちの結婚とマッチングのプロセ スに神様が働き、導き得る基台をつくろうとするものです。

ここに紹介するみ言は、私たちがマッチングに取り組んでいく上で、最も大切にすべき内的姿勢を示したものです。熟読し、真の父母様の祝福に対する心情をよく理解してマッチングに臨みましょう。

 

 

男性と女性の出会い

結婚というものは、愛する二人が寂しいときに慰め合い、うれしいときに喜び合い、困難なときに助け合える、相対的な立場で授受し合いながら、神様のもとへ行くに当たり、神様の愛を基として生活するために結ばれることなのです。

結婚する時、立派な人、きれいな人を得ようとするのは間違った考えです。人間は人のために生きなければならないという原則が分かったなら、結婚する時も相対のためにするという観念を持たなければなりません。醜い人だとしても、美人より愛そうという信念を持つことが原則的な結婚観です。

愛する妻の顔は自分の顔がどうなっているのか分からないように、「これだ」と言えません。自分の顔が変わるように、妻の姿も心の状態によって随時変わるからです。それで見るときごとに違って現れ、見る人の心の状態によって違っても見えます。喜び笑う顔が印象に残れば、その笑う顔が妻の印象になるのです。

相対者が愛らしいと思えば、目が醜かったとしても、すべてが美しくきれいに見えるのです。ですから、愛する心を持っているか持っていないかによって、醜く見えたりもし、きれいに見えたりもするのです。昼には多少醜く見えても、夜になれば美しく見える場合もあるのは、愛する心が大きくなったり小さくなったりするからです。

人間において、異性間の愛は、出会って理解と事情を交わすとき、二人の間の愛は深まっていくようになります。「私の約婚者は、この世の中で唯一で最高の伴侶だ」と思い、叫んでごらんなさい。そうすれば、その約婚相手が本当に最高の恋人になるでしょう。

 

相対は神が決める

神が自分に最高の花嫁を選んでくださるのです。皆さんの人生は明確に神によって形づくられているのですから、神が皆さんの人生を選んでくださるのです。神はアダムを創造して「アダムよ、行って好きな女性を嫁に取りなさい」とは言われませんでした。神は既にアダムのために妻を準備しておられたのです。それと同じように、(私たちは)自分の好みで女性を嫁にする立場にはありません。神がその人を与えてくださるのです。

皆さんも絶対に自分を中心としての立場を取るなというのです。ここにコンパスがあるとすれば、このコンパスはいつも神のものです。このコンパスを、神を中心としてぐるっと回せというのです。自分を中心として、このコンパスを回せば、副作用が起こるというのです。……このように見るとき、皆さんは神を中心として、相対を求めなければならないというのです。

祝福を受ける場合に「私は誰それとすればうれしい」と、このように心の中で、自分の好きな相手と結んでくれることを願う人がいるとすれば、その人は神を冒瀆する人です。エデンの園でアダムとエバが堕落したときと同じです。……祝福される前に自分の相対が分かって祝福を受けに行き、祝福される前に自分の相対を決定していけるはずがないというのです。祝福の相対決定は、天がなさるのです。父母がなさるのです。すなわち、アダムの父たる神がなさるのです。……息子、娘となる人たちは、自分が好きな人がいて心にあるなら、そのとき、すぐ父母に報告をしなさいというのです。その人を好きだという言葉が口から出る前に、まず父母の公認を受けなさいというのです。

 

天が見つめる理想相対

統一教会で今まで祝福をすぐにさせないで、いろいろな活動をさせてきたのは、縦的な愛を指向させるためでした。約婚者を探したり心配するなと言ったのは、皆さんが縦的な愛を成すようになれば、約婚者は自然と現れるようになっているからです。

春の季節の女性は、秋の季節の男性と結ばれて初めて、夏と冬を通過できるという事実を知らなければなりません。春の季節に該当する女性は、夏を通過してこそ、秋の季節の男性と結ばれるようになるし、秋の季節の男性は冬を通過してこそ、春の季節の女性と結ばれ得るので、二人は結局、春夏秋冬の四季を通過することになるのです。

将来、祝福を受けても、相対との因縁はあとで結ばなければなりません。まず、父母を慕わなければなりません。父母がいなければ自己の存在価値がないかのような気持ちを持たなければなりません。父母に対する思慕の心情と敬慕の心情が、皆さんの生活のすべてを占領しなければならないのです。

皆さん、結婚するときハンサムな男性を、きれいな娘さんをもらいたいでしょう。皆さんの中に美男、美女がどれだけいますか?   それゆえ、考えを変えなくては苦労の道を克服できないのです。目が嫌がる時には、「目よ!   それがお前の行くべき茨の道だが、見たくないものを見て好み、神様のように愛してあげよう」と言うとすれば、それが美しい目です。……神は装って現れるのにおいては、世界一のチャンピオンです。「私」の愛する相対として現れる人は、神が本当に愛する息子だから、一番醜い顔で装って「私」を愛しに来ると考えてください。そのような目で夫を、妻を愛するようになれば、神の息子、娘を愛することになります。

 

マッチングに臨む姿勢

独身の男女は、祝福を受けるんだと言ってうれしがりますが、これに責任を負ってすべて切り回さなければならない先生には、大変な問題だというのです。それは先生には、日帝時代に日本人のところへ拷問を受けに引かれていったような気分です。

皆さんも考えてみてください。83カ国から来た1200余名の独身男女たちに、国境を超えて愛の因縁を結んであげることは、言葉では易しいですが、実際にどこが易しいことでしょうか。そのようなことをして先生に何の利益があるでしょうか。

6000双を結んであげるのに、その間、一時も楽に休めませんでした。12時が過ぎ、時が過ぎ、夜を明かしても、私の目は疲れることができません。忠誠をこの場で尽くさなければなりません。今もそうであり、昨晩も何時間と眠れませんでした。人の命に責任を持ち、一生に一度しかない重大な問題を残しては眠れないのです。

自分のために祈祷する人は、みな欲張りです。むしろ、祈祷をせず、「あなたの前にすべてを委ねます。劣った私が迎えるべき相対はいないでしょうか? ただ父の計らいのままになさってください」と考えなさい。それが最も気楽だというのです。

「あなたは誰と祝福されたいのか」と尋ねると、自分がアメリカにいたときに、真にみ旨に忠誠を尽くしてきた人を知っているというのです。……それで彼は、……そのおばさんのような娘と祝福してくれと言ったのです。こういうことを見て、先生は気分が良かったでしょうか。まずは悪かったのです。なぜなら先生は、若い青年には花のように美しい娘を抱かせてあげたかったからです。……しかるに、気分が良くなった原因は何でしょうか?「み旨のために、神の民のために……自分が頑丈な土台を築く」という、また、「こういうことをするために男性は女性の権威を高めてあげられる男性にならなければならない」という、彼の言葉に先生は手を上げました。

 

天の願われる国際祝福

愛の力は原爆の威力より大きく偉大です。原爆は人間に死を与えるだけですが、愛は人に新しい生命を付与するからです。……アメリカやソ連が地球を数千回破壊させることのできる原爆を保有していながら、世界の人を統一し得ないでいるのは、それが死をもってくる武器であって、新しい生命を与える「愛」ではないからです。世界を一つにするためには、武力を伴った力ではなく、真の愛が必要なのです。……統一教会では、愛を武器として世界を一致させる実践に移していっています。その一つが国際合同結婚式です。

私たちは天国建設の難しさを知っています。一般的で普遍的な方法によって天国を成すことはできません。天国建設は、ひたすら自分を犠牲にし、神の事情を知って、全体のために個人を犠牲にするという信念がなくては成すことができません。そのような信念で行動するとき、背後で神は祝福し助けざるを得ないでしょう。永遠なる神の愛と永遠なる幸福は、永遠なる天国を建設しようという人にあるのです。

統一教会では、将来、世界は五色人種が一つにならなければならないと主張します。神の愛が一つであり、神が造られたこの地のどこでも、関心と愛情は異なり得ないからです。だから超民族主義の結婚観は、神の愛の表示であり、意思なのです。世の中でも愛には国境がないと言うのに、まして神については言うまでもありません。これは力の歴史がつくった悲劇的な愛情の結合とは根本的に違います。自分の安全と利益のための行為ではなく、神と世界と人類のために行く献身的愛の道だからです。

将来、皆さんの一族が一つになって先生に侍ろうとする日が来るでしょう。そのとき私は、できれば国際結婚した家から訪ねていくでしょう。国際結婚した人は、心情的革命を成した人です。

 

祝福という言葉は、私たち統一教会から出発したものではなく、創世から堕落以後の今日まで、歴史過程を通して神の心の中に悲願として、神がいつもこれを追求し願ってこられたということを、私たちは知らなければなりません。

「自分だけを愛してくれ」と言い、「あなたは私のものだ」など、今までこの世の夫婦たちが慣習的に言ってきた言葉を、祝福家庭は言ってはなりません。妻になった人は、時間さえあれば、そのような夫にならないように精誠を尽くさなければなりません。また、夫になる人も、時間さえあれば、そのような妻にならないように精誠を尽くさなければなりません。互いに力に力を合わせて、助けてあげ、導いてあげなければなりません。その道を行くにおいて心を痛めないように、互いが勇気を与え、互いが導き導かれるべき責任を共に持っているのが夫婦であり、家庭なのです。

祝福家庭は、自分の家庭より民族を一層愛さなければならず、氏族を愛さなければならず、ひいては国と世界を愛さなければなりません。そして、自分の親戚と祝福を受けた同僚たちを愛さなければなりません。こうして互いに連結された一つの家庭があるならば、その家庭はどんなに多い、千人、一万家庭の中にあるとしても、さっと見つけることができるのです。男性と女性が一つになって結合したその家庭からは、国家を愛する姿、世界を愛する姿、天を愛する姿が現れるというのです。このように夫婦は一つにならなければなりません。

(以上、『祝福家庭と理想天国Ⅰ』より抜粋)

 

 

怨讐を越える

愛の哲学が、どこに始まるかというと、怨讐と怨讐とが結婚し、その二人の怨讐の父母が、怨讐同士が、闘わずに永遠に平和に暮らすことを願い、また、平和を愛する模範となることを願い、神様の前に、千年、万年、反対していたサタンが福を祈ってあげることができる……、そうして、千年、万年、切実に願い、一つになってこそ、神様の前に帰っていくことができるというのです。……自分勝手にすれば、息子、娘から讒訴されるでしょう。

息子、娘に良い結婚をさせたいと思う人、手を挙げなさい。怨讐とするのです! 今まで祝福した人たちを見れば、嫌いな人同士が親戚関係になっています。……そのようにすれば、峠を越えるのです。一番高いエベレストの山頂を、エレベーターに乗って、サッと上がっていくことができるのです。この谷間からあの谷間に……。人は無限に高くなることができるのです。愛する心で尽くすのです。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」と言ったのです。心を尽くす者は、いくらでも越えていくことができるのです。

平和はどこから始まるのですか?   怨讐を愛し、怨讐のために生命を捧げることができる立場に立ってこそ、平和を得るのです。怨讐の息子、娘と結婚し、結婚した翌日、翌朝から、親戚として互いを尊重し合うのです。その息子、娘は、千年、万年、王子王女として栄えるでしょう! そのようになってこそ、そこに天国が生まれ、平和が出発するのです。……そのようにして地獄を撤廃するのです。

(以上、200171日「七・一節」敬礼式後のみ言より抜粋)

 

 

堕落に始まる悲運の歴史

誰に会うために、ここに来ましたか。自分の相対に会うためですか。真の父母に会うためですか。皆さんを生んだ父母と、真の父母とはどのように違いますか。どちらが直接的な関係ですか?

堕落がなければ、真の父母で始まらなければならないのが、堕落によって偽りの父母が生じ、偽りの血筋が生じました。血筋です。サタンの血筋を受けたのです! 皆さんも、みな父母に似たでしょう。根本に入っていけば、血筋によって、自分は父母に連結されているのです。また、その父母、父母と遡っていったとき、その血筋は本然の父母から始まった血筋ではないというのです! 血筋がひっくり返ったというのです。

本来であれば、父子関係、男女関係、兄弟関係で結ばれ、これらが一つとなって球形を成すのです。しかし、堕落により上下関係もねじれ、前後関係もねじれ、家庭そのものが破壊されてしまいました。その家庭は、神様の永遠の理想の中で存続できる家庭ではないのです。

あなたの父と母が本然の結婚をしたとしましょう。ところが、サタンという者が現れ、父が愛する母を奪い、子供を生み、家という家をすべて壊してしまったのです。それが人類歴史の始まりだったということを知らなければなりません。

皆さんの心と体が闘うでしょう? 父と母が闘うでしょう。すべてが戦場となりました。血筋を汚した存在、サタンが主人となったのです。神様がいくら原理原則を叫んだとしても、神様は血筋が異なるため、「自分の息子、娘だ」と言うことができないのです。サタンが一方的な立場で天下を指導し、蹂躙じゅうりんしているという事実を思うと、怒りが込み上げます。

そうして数千代が継続したため、罪の包みは重くなりました。鉛の塊を網に結んで投げ込めば、全体が沈むでしょう。あなたたちはそれも知らずにいます。どれほど悲運の歴史に染まっているのか、今まで犯してきた罪の重さがどれほどになっているかというのです。

 

善と悪、生と死の境界線

目は二つのものを見ます。手も体も、すべて善と悪の境界線に立っているのです。一歩でも踏み間違えば、反対側に落ちるでしょう。ゆえに、人には修養が必要なのです。

生きる何倍もの苦労をしなければ、本来の位置を奪還することはできません。それが蕩減の道です。何百回「死にます」と言って、逃げていく神様を追いかけて捕まえなければならないのです。神様が時速100キロメートルで行くなら、私は1000キロメートル、1万キロメートルで走っていって、捕まえようとしなければなりません。神様よりも、もっと苦労しようとしなければ、復帰の道を尋ねていくことはできないのです。
ですから、「あなたが願わないことをしなさい」と言うのです。そうしてこそ、愛の位置が残るのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。愛のために、愛を残すために、絶対信仰が必要であり、絶対服従が必要なのです。

なぜ、絶対信仰なのですか。神様が世の中を創造されるとき、神様までも絶対信仰を持ち、絶対愛をもって創造されたからです。絶対愛をもとうとすれば、自分にある存在を絶対的に投入して忘れてしまわなければなりません。目を投入し、四肢五体を投入して忘れるのです。このようにするまでは、本然の位置に戻ることはできないでしょう。それが蕩減法です。
ですから、死ぬ覚悟をしなければなりません。死なんとする者には、生きる道が開かれますが、今のまま生きようとする者たちは、永遠に死ぬというのです。あなたたちは統一教会に入ってきて、死ぬ覚悟をしてみましたか。

 

真の父母の願う祝福の伝統

父母たちに、「あなたたちの息子、娘を結婚(相対の決定)させなさい」と言ったのですが、彼らは「父母の懐を離れて好きなように結婚しなさい」と言っています。この父母たちは、息子、娘が16歳になって相対がいなければ、「恋愛しなさい」と言っているのです。エデンの園で、神様が「デートしなさい」と言いましたか。あなたたちが今まで「誰それとなら私は相対になろう」ということを考えたのなら、それは完全に失格です。

「あの人を愛することによって私が良くなる。私が命を懸けて、ために生きよう」と、そのように考えるのです。ところが、なっていない者たちが、結婚相手に良い人を求めていて、それで心を合わせることができますか。だんだん遠くなり、相対がなく、一度争えば、永遠に離れてしまうような群れになるでしょう。先生が、そのような群れを喜んで結婚させることができますか。

結婚相手として、器量が良くて、立派な人ばかりを願うのですか。 「いや、先生の話を聞いてみると、醜い人でも十分だ。目が少し病気の人でもいい。私は病人の中の病人と受けよう」と考えれば、神様は、「死なんとする者は」、何と言われますか。 「生きる!」と言われるのです。「死になさい」と言うからといって、本当に死ぬようにと言っているのではありません。死んで、自分がなくなることを言っているのです。なくなるのです!「良い人でなければ駄目だ」という人は、今すぐ立って、そこの扉から出て行きなさい。これは脅迫ではありません。

今回のこの大会は何ですか。「天宙統一平和の王戴冠式」です。血筋を正しく立て直す群れが、天宙統一を成す天の王族圏になるというのです。国境がなくなり、その次には境界線がなくなります。あなたのもの、私のもの、ということがなくなるのです。

では、真の父母は何になるのですか。「天宙統一平和の王」です。あなたたち、しっかりしなければなりません! 摂理史が終わるのです。あなたたちは天一国主人になっていますか? 心と体が闘い、夫と妻が離婚すると言い、良くない闘いをしている群れが、天宙統一を成す群れですか。しっかりしなければなりません!

 

真の父母の国が私たちの本国

皆さんはここへ来るとき、喜んで来たでしょう。喜んで来ましたか、泣きながら来ましたか。では、帰るときはどのように帰りますか?
以前、約婚したときは、修練会を20日くらいして、16日くらいになるまで相対を結んであげませんでした。ここでは、早く結んであげたほうがいいのですか。それとも遅くしたほうがいいのですか。(「早くしてください」)(笑)

言葉を聞き取れていないのは、日本か西洋のメンバーですね。なぜ言葉を学ばなかったのですか。祝福を受けた家庭が韓国語を知らなければ、これからは祝福してあげられません。日本は第二の韓国、そしてアメリカは第三の韓国です。少し遅れて言葉を学ぶだけであって、韓国人であることには違いないのです。僑胞なので、本国の言葉さえ通じれば、いつでも来ることができるのです。分かりますか。

あなたたちは、ほかの国に暮らしていますが、天の国の文化、真の父母の文化を学んだので、真の父母の言葉さえできれば、どこにでも行って暮らすことができます。アメリカの雀も日本の雀もチュンチュンと鳴き、アメリカの豚も日本の豚もブーブーと鳴くのに、どうして人の言葉は違うのですか?言語は一つなのです。

あなたは何歳ですか。元気がなさそうに見えますが、それでも夫は欲しいのですか。(笑) 女性たちは愛を受けようと嫁いでいくのに、そのように元気がなくていいのですか。ぱっちりした目で、にこにこしなければならないのに、目がそんなに死んでいていいのですか。男性が来ても逃げていきますよ。しっかりしなさい。目をきらきらさせ、顔も化粧をするのです。さあ、もう気分が解けましたか。あなた、出てきて、歌を一曲歌いなさい。あなたです!(笑)

(2005年2月8日、韓国・天宙清平修錬苑にて)