復帰原理の観点から見れば、堕落人間の究極的目標は、「生命の木」に接ぎ木され、「罪の血統圏から脱して神の血統圏に立ち返る」ところにあります。ゆえにメシヤを通して、神の血統に転換される「祝福」という一点こそ、人類の目指す一つの究極的ゴールとされてきました。
また、祝福の意義がメシヤに出会って原罪を脱ぐこと、すなわち血統転換にあったわけですから、祝福を受けるためには、まず罪の自覚とメシヤによる血統転換の必要性を実感することが最重要課題とされてきました。
ところが、二世たちを祝福に導こうとするとき、この観点では限界があることに気づきます。なぜなら二世には原罪がないからです。
一世が祝福を目指した強い動機、そして祝福によって神の血統につながったという感動を前面に出して、子女に祝福の意義を訴えても、なかなか伝わらなかったりします。
二世祝福を考えるとき、必要な観点は復帰時代を超えた、創造本然の祝福結婚観が求められるのです。
では、二世祝福にかけられた天の願いとはなんでしょうか。それは、神様が最初にアダム・エバにかけられた願いと同じです。
すなわち、神様の真の愛を相続し、理想家庭を築くことなのです。「救われたくて」や「地獄に落ちたくなくて」という思いで、祝福の場に行く二世は少ないでしょう。
祝福理想の講義や、実際に触れ合った家庭の実体を通して、「真の愛で結ばれた家庭は素晴らしい!」と心から思えてこそ、祝福に向かう原動力となることでしょう。