メモ

?告白面接

祝福結婚の伝統に基づき、すべての対象者は天の前に自らの罪を告白し、過去を清算した上でなければ、祝福に臨むことができません。日本では、主に祝福準備修練会の中で、この面接を行います。なお、告白の内容は守秘義務があるため、当事者の親も含め、一切、他言できません。

?教会所属と会員登録

マッチングは各家庭(父母)が主体となって進める取り組みですが、候補者の教育と推薦に関しては、教会が責任を担っています。父母と子女は各々、事前から最寄りの教会につながり、コンタクトを取りながらマッチングを進めましょう。なお、日本で候補者資格を得るには、正会員登録の完了が必須となっています。

上記の原理教育、候補者教育、告白面接、教会所属が祝福を受けるための資格になります。未履修のものがあれば、所属教会担当者に相談をしましょう!

 

 

?それでもなかなか出会えない方へ

祝福は簡単ではありません。しかし、あきらめないところに道が見えてきます。

ここでは、証しを紹介します。父母マッチングに少し疲れたときに、ぜひ読んでみてください。

 

27歳女性(マッチングハンドブックより)

幼い頃から夢を聞かれても、うまく答えられませんでした。夢がないからではなく、「奥さんになって幸せな家庭を築く」という、ごくごく平凡に思える夢しかなかったからです。でも、5年前に祝福を受け、この小さな夢を成し遂げることがどんなに大変なことなのか気付かされました。あらゆる条件を立て、手紙を書き、直接会いに行くなど、自分が考えられることは全部しましたが、状況は変わらず、天から頂いた祝福を壊さざるを得なくなりました。

それからずっと「祝福を壊してしまった」という罪の意識を持って歩んできました。祝福は受けたいのに、父母から候補者を紹介されるたびに苦しくて逃げたくなりました。周りの兄弟姉妹が祝福を受けるたびに、うれしい反面、取り残されていく寂しさを感じました。本当に何も要らないから、ただ神様、真の父母様を愛している人に出会いたい……、その人が公職者であれ、ミュージシャンであれ、その人を支えていく奥さんになりたいと思い、仕事を捜すようになりましたが、簡単には見つかりませんでした。

このどん底の中で出会った人が主体者でした。中高生や青年のお世話をしていて、訓読教育に燃えている信仰的な人で、我が家の宣教のミッションにまで関心を持ってくれるすごい人でした。そして、会って一週間で受けることを決めてしまいました。まだまだ知らないことはたくさんありますが、話せば話すほど、無理に相手に合わせようとしなくても、自然に相手を補ってしまう要素をお互い持っていて、祝福の相手は「選ぶもの」ではなく、「出会うもの」なのだと、はっきりと分かりました。

「運命の人」はきっといます。この言葉を、今は信じられない方もいらっしゃると思いますが、きっといます。だから、その人に出会う前に神様を愛し、家族を愛し、周囲の友人や同僚をたくさん愛して、自分の愛の器を広げていくこと、それが一番大切なことなんだって思います。

 

31歳、女性 (2013年2月の祝福) ─ 本人からの手紙より

再度、祝福に進もうと決意し、マッチングに取り組もうとする中で、私が今まで知らなかった、知ろうとすらしていなかった父母の苦労を知りました。日頃、公務で忙しい両親が、自分の娘のためだけに時間を費やせるわけがないことは分かっていましたが、真の父母様に代わって父母マッチングを行うということは、そんな片手間ではできないことなのだ、と知りました。

血圧の薬を毎日服用しなければならないはずの父が、娘の祝福のためにと、毎週欠かさず断食を続けていたことを知り、私が知らないところで、両親がどれだけ精誠を尽くしてくれていたのか……。私たちが受けようとする祝福は、父母様の苦労や両親の歩みの基台の上で、与えられているものであることを、改めて実感させられました。

『二世祝福ガイドブック』の巻末に記載されていた「TPマッチングのエピソード」は、読んで思わず涙があふれました。2005年2月のマッチングで、私もまた、残された女性候補者40 名のうちの一人でした。その時、「相対を決めてやれなくてすまないね」とおっしゃりながら、一人一人語り掛けてくださったお父様のまなざしや語られた内容を思い出しました。

私は当時23歳だったのですが、お父様は私に、「あなたの主体者はここには来ていない。祝福は31 〜 32歳になってしまうかもしれないよ。それでも受けたいの?」と尋ねられ、私は「はい、お父様に決めていただけるのであれば、何歳でも構いません」と即答しました。

あの時はまさか、私が31歳になった年、お父様はもう地上にいらっしゃらないなどとは、想像もしていませんでした。分かっていたなら、もっと今までしっかり歩んだのに……と、救いようもない、後悔の念を覚えます。

けれど、31歳になった今、またこのように祝福の機会を与えていただいたという事実に、言葉では言い表せないほどの感謝に震える思いがしました。